2013年11月30日

高崎、綿貫古墳群を歩んでみよう!

獣帯鏡(じゆうたいきよう)など武寧王陵(ぶねいおうりよう)出土品と 同じものが出土、大陸との深い関係がうかがわれれる。
綿貫古墳群として、観音山古墳の南にあ、普賢寺裏古墳・不動山古墳等がある。
このすぐ南に、原子力研究機構の施設があり、その中にも100m級の古墳があったが、すでに壊され、その敷地になっている。
この地区は、江戸幕府直轄地である岩鼻の代官所があり、明治維新では、岩鼻県の中心施設がおかれた。
その後、岩鼻の火薬庫となり、戦争中は、弾薬の生産にあたりっていた。
この東には、井野川が南に流れ、烏川と合流している。
その東は斉田・八幡原地区で、戦後の合併で、高崎と玉村に分村した地域である。
この地区にも、古墳がいくつも点在している。
高崎、綿貫古墳群を歩んでみよう!

6世紀後半につくられたが、運よく昭和43年の発掘まで、盗掘されずに残った。建造されてすぐに、石室が崩れ、埋まってしまったため、石室部に入ることができなかった。
すでに盗掘済みと思われたのだ。
高崎、綿貫古墳群を歩んでみよう!

この近くの東に向かう道に、日光例幣使街道がある。
京都の朝廷に例幣使なる役職がおかれ、京都から日光の東照宮にお参りにいった。
群馬の森に、お出での時には、そんな歴史を踏みしめて下さい。



Posted by 箕輪城元気隊 at 23:24│Comments(0)
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