グンブロ広告

ビジネスライセンス料  3,000円/月

飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告  1,600円/月

お問い合わせは、 info@gunmawen.net

本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。  

Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2013年11月30日

高崎、綿貫古墳群を歩んでみよう!

獣帯鏡(じゆうたいきよう)など武寧王陵(ぶねいおうりよう)出土品と 同じものが出土、大陸との深い関係がうかがわれれる。
綿貫古墳群として、観音山古墳の南にあ、普賢寺裏古墳・不動山古墳等がある。
このすぐ南に、原子力研究機構の施設があり、その中にも100m級の古墳があったが、すでに壊され、その敷地になっている。
この地区は、江戸幕府直轄地である岩鼻の代官所があり、明治維新では、岩鼻県の中心施設がおかれた。
その後、岩鼻の火薬庫となり、戦争中は、弾薬の生産にあたりっていた。
この東には、井野川が南に流れ、烏川と合流している。
その東は斉田・八幡原地区で、戦後の合併で、高崎と玉村に分村した地域である。
この地区にも、古墳がいくつも点在している。

6世紀後半につくられたが、運よく昭和43年の発掘まで、盗掘されずに残った。建造されてすぐに、石室が崩れ、埋まってしまったため、石室部に入ることができなかった。
すでに盗掘済みと思われたのだ。

この近くの東に向かう道に、日光例幣使街道がある。
京都の朝廷に例幣使なる役職がおかれ、京都から日光の東照宮にお参りにいった。
群馬の森に、お出での時には、そんな歴史を踏みしめて下さい。  

Posted by 箕輪城元気隊 at 23:24Comments(0)

2013年11月29日

観音山古墳とそこからの眺め

高崎市綿貫にある観音山古墳
綺麗に復元された
北側に井野川が流れ、増水するとこの辺まで、水がかかる?
岩鼻小の高台を望める原っぱにある
高崎駅から東に走るスマートインターへの4車線の道路が建設中


北に榛名山を望み、東に目を移すと谷川岳・武尊山、そして


赤城山がすそ野を関東平野に広げている


まばゆい夕日の方を望むと
浅間山が雲を抱き、
白雲を群馬に流し込んでる

  

Posted by 箕輪城元気隊 at 23:46Comments(0)

2013年11月28日

復元された長浜城

秀吉が築城。
一国一城の主となった秀吉。
石田村の三成が主と仰ぐ秀吉。
JR長浜駅の東口に、秀吉と三成の主従の像がある。
復元された長浜城は、鉄筋コンクリート造り。




城の前にある博物館、日曜日なので結構な質問がでていた。
戦国合戦絵巻の中にある
「武将が背中に背負った丸い風船のような物は何ですか?」
「黒田官兵衛ゆかりの展示物はどこにありますか?」
等の質問が学芸員に次々ともたらされた。
そこで、女性の学芸員が活躍した。
  

Posted by 箕輪城元気隊 at 22:44Comments(0)

2013年11月27日

小谷城の絵図

小谷城跡にある浅井氏の墓所。
後世の人によって祀られた。
奥には大きな碑も見られる。


本丸より下にこの井戸がある。
雨に中であるが水がある。
湧き出るというより溜り水。


この絵図で、本丸・天守等の様子が一目瞭然。
良くご覧ください。
右斜め下より上ってきた。
  

Posted by 箕輪城元気隊 at 23:07Comments(0)

2013年11月26日

小谷城からの眺望、霧の中!

小谷城から南側を望む。
南の右側と左側、東山道と北国街道を望む。



雨で眺望が開けず残念。
上り始めはもっと降っていたがこのころは少々うちばに。
下っていくと雲間が少々開けた。


この広場に本丸がある。
礎石らしきものも残っている。
ちゃんとした建物が礎石の上に建っていた。

  

Posted by 箕輪城元気隊 at 19:00Comments(0)

2013年11月25日

落城する天守をもった小谷城!

小谷城本丸の大広間、奥に天守閣が聳え立つ。

この上に、天守閣があり、ここからの眺めは壮大だ。

ここ大広間の広さをもった本丸があり、ここが生活の場があった。姫たちもここで、信長の攻撃を受けていたのだ。
落城はしたものの、延焼は少なかったのだろう。

  

Posted by 箕輪城元気隊 at 20:59Comments(0)

2013年11月24日

浅井の姫君と本丸で

この一体の両側が侍屋敷跡地。
ここで浅井氏の郎党らの屋敷あとがあった。
今は戦国資料館になっている。
元は児童館だったが、大河ドラマ「お江」を時は、土日は駐車場が足りないくらいの人々が押し寄せたとか。
今はちょうどよいご案内ができている。
後ろの山、右側山頂が小谷城本丸とのこと。
山に入る前と後にここの資料館の職員さんが懇切丁寧に対応して下さい。

この磯野氏は浅井氏の家老職にあたり、信長の妹お市の輿入れに尽力したとのこと。
また、佐和山城が浅井氏配下の時、この城で、闘ったとのこと。
このあたりは、京に上る東山道・北国街道等の幹線が通り、戦闘の道筋に重要であった。

この細い道を通って、本丸に向かう。一人さびしく大粒の雨しずくの下を紅葉の雑木・白樫の木立を抜けて、つづれ折れた山道を川筋をよけて本丸に向かう。
途中、2組の登山者に行きあう。
落城を本丸で思いつめた浅井の姫君に思いをはせた。
遠く長浜、東山道・北国街道の様子が手に取るように見える。
無念さをひしひしと感じていたことでしょう。
  

Posted by 箕輪城元気隊 at 22:25Comments(0)

2013年11月23日

井伊家ゆかりの寺々が佐和山の南下に!

佐和山の山頂に付近に、本丸がある。ここには、天守もあったとか。北側に、石垣跡が2個ほど残っている。尾根の曲輪後には、瓦のかけらが無数にある。

尾根伝いには、曲輪がある。尾根を伝っていくと曲輪が、そして曲輪と曲輪を分ける堀切がところどころにある。

この尾根を下ると寺の境内に出る。

佐和山の南側麓直下には、井伊家にゆかりの寺々がある。その一つ、山門に特徴がある。寺々の先には、彦根の市街が広がる。
  

Posted by 箕輪城元気隊 at 23:46Comments(0)

2013年11月22日

佐和山城と箕輪城を較べる!

佐和山城は東山道に面し、鳥居本から外堀の小野川を渡り、城下町に、今も集落がこじまわりとした町をつくっている。
東山道から佐和山を目指し幾筋かの道を上っていく。この西の丸にもいく、このあたりに木俣氏の邸宅があったとか。

城下町から大手口を行くと両側に土手らしきものが目に付く。これを越えると侍屋敷らしき田畑が両側に開けている。
佐和山城の石垣はここのところだけである。みな彦根城に移築したとのこと。所々に瓦のかけらが散在している。この時代のものか。

佐和山の裏、南面に行く、尾根伝い。ここを下ると彦根の市街に、眼前には彦根の町並みと彦根城が見渡せる。

佐和山城は、箕輪城よりも高く険しい山城だ。侍屋敷も内宿よりも狭隘で、城下町も上の宿、仲宿、矢原宿の箕輪城下町よりずっと個人まわりしている。  

Posted by 箕輪城元気隊 at 21:31Comments(0)

2013年11月21日

彦根城門の様子

天秤門、左右に長い大きな門本丸に通じる最後の砦

門入り口が懸け橋に、これを潜っていくと上の写真の門前に

天秤門を通って次の門、周りを囲まれている

門を内側から見ると、礎石と柱ででき。石垣塀が迫っている

箕輪城、本丸西門下の天空の橋は、もっと高く、長いので、もっと優美に。橋げたは鶴の脚のように。  

Posted by 箕輪城元気隊 at 23:49Comments(0)

2013年11月20日

佐和山城を目指す!

佐和山城の大手はこの山の裏側。表は彦根側でなく東山道側だ。

彦根山より高い。佐和山の右側の低い峰の麓に石田三成館あり。
徳川軍に最後まで対抗し、豊臣軍の三成派が籠城惨敗。
徳川方の領地になる。井伊が高崎から佐和山城に移る。

佐和山の北方、今の長浜市の石田村が三成の生誕の地。この地での三成の評判は大変で、井伊直政もこの評判に苦労したことだ。

東山道(中山道)を守るための城。ここで2年後死亡。築城は木俣が苦心した。今も門内に屋敷が存在する。
彦根城は琵琶湖側が表。城の南面を寺院が城を守っている。
  

Posted by 箕輪城元気隊 at 23:53Comments(0)

2013年11月19日

彦根城天守閣!

彦根城天守閣
彦根山、標高百数十㍍に山頂に聳え立つ

本丸の一部に天守が建築される
  

Posted by 箕輪城元気隊 at 22:30Comments(0)

2013年11月18日

信長像、人相

安土駅前に立っている。
彫りが深く威厳がある姿だ。

宣教師が描いた素顔の信長。
面長で実直な顔立ち。

構えると笑顔が失せてしまう。
  

Posted by 箕輪城元気隊 at 23:05Comments(0)

2013年11月18日

60年経過の善地大橋

判読不可。善地大橋建設碑。

善地大橋。左側は完成年月昭和28年

中善地側から


中善地集落を望む

下流から全景
  

Posted by 箕輪城元気隊 at 00:54Comments(0)

2013年11月17日

三重塔を上から拝観!

本丸へ行く道から左に別れ西へ

分かれる前の道。本丸に向かう道

午後の太陽がまぶしい。塔の先端がのぞける。

大手門に戻る。大手前広場。
  

Posted by 箕輪城元気隊 at 01:04Comments(0)

2013年11月16日

天主からの眺め!

安土城の天主はこれより15mほど高い、もっと眺めがよい。

信長はそこから眺めていた。

この地は周辺、敵が多い。

城下町辺は整備されてしまった。国土地理院の古い地図があれば
  

Posted by 箕輪城元気隊 at 01:23Comments(0)

2013年11月15日

延焼落城、安土城!

異様な天主を持った城。天主の始まりだ。瓦葺きのはじまりだ。

石段の上に炎上した瓦が焼け落ち赤く変色し積み重なった。

この大石垣を曲がると本丸。広間に礎石が並び大邸宅を建造した

本丸を保護するように石垣が四方めぐらされ本丸を囲んでいる

今は鬱蒼とした大木が繁っているが

荘厳な本堂のような建物が本丸に広がっていた。

本丸の入り口付近の角に大石垣で囲まれた天主がそびえ建つ

大きな礎石がたくさん並列し異様な天主を支えていた。

眼下に城下町が望まれる
向きを変えると田園・湖等が手に取るように見える
  

Posted by 箕輪城元気隊 at 00:32Comments(0)

2013年11月13日

安土城跡探訪!

安土城跡のある安土山

このあたりの山々には戦国の古城があった。
時代、時代にそれぞれの武将が築城し
そのあとにまた築城する。

織田信長の築城した安土城
石段石垣が頂上まで続く
最後に天主が築城された。

信長の居住地区の本丸
その上に天主が聳える。
そこにたどり着くまでの途中に
家臣の居住地区がある。

午後の太陽の光を浴びて  

Posted by 箕輪城元気隊 at 22:29Comments(0)

2013年11月05日

大手門を行進、城内に

大手門、虎鞱門にさしかかる



城内に、鍛冶曲輪に向かう


急な曲輪と曲輪を登る狭い道

森の中を行進しているようだ
  

Posted by 箕輪城元気隊 at 00:28Comments(0)

2013年11月02日

箕輪城まつり、くのいち戦士が活躍の合戦!

武田軍が長野軍を攻める、攻める!


寄居鉢形城の三つ鱗会面々!

整列!閉会式

実行委員長 挨拶

ご協力ありがとうございました。  

Posted by 箕輪城元気隊 at 22:41Comments(0)